タイトル
全国各地のラジオ局や個人的につながりのある
シンセキたちへ賛同をお願いしました。
ただいま、賛同してくださるラジオ局や
多業種のシンセキたちが続々と増えています。
感謝!感謝!感動!感動!ありがとう!
リスナーさん、シンセキのみなさん、ラジオを送ってください。
よろしくお願いします。
メッセージ 詳細 被災地リポート(1) 被災地リポート(2)
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3月28日(月)
栃木県 佐野市〜福島県
二本松市 城山第二体育館へ
3/21
避難所の様子
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ひと家族に 一つずつラジオを手渡しました
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「このラジオかわいい!」
シンセキ村に届いた一枚のハガキ「避難所にいるので小さめのラジオがほしい…」。このハガキをもとに、二本松の避難所を目指しました。今回は全国から集まった300台のラジオ、ライト、電池を持って出発しました。

福島県 二本松市 城山第二体育館 着

避難所の代表の方にハガキとラジオの説明をしたところ、快く迎えてくださいました。体育館で避難している方々に呼びかけていただいたところ、長蛇の列ができました。ハガキをくださった方とも会うことができました!
多くの方が「ラジオがほしかったんですよ」と言われ、全国から送っていただいた一つ一つのラジオに感激していらっしゃいました。
被災者の中に山本シュウのリスナーの方々もいて「We are シンセキ!」と逆に声をかけられ、まるで本当のシンセキのような和やかな雰囲気が生まれていきました。

「We are シンセキ〜!!」 一瞬にして和やかなムードに ハガキをくれた佐藤さんにもお会いできました!!
3月29日(火)
宮城県 仙台市〜石巻市立湊小学校
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瓦礫の山となった校庭
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ボランティアの人による
足湯のサービス
宮城県 石巻市立湊小学校 着

ラジオを一緒に届けてくれているピースボートのメンバーに会うために、石巻市立湊小学校にお伺いしました。まず目に飛び込んできたのは、瓦礫の山になっている校庭でボランティアの人たちが一生懸命に足湯のサービスをしたり、自衛隊の人が瓦礫の処分をしたりしている風景でした。
そんな中、小さな工作室で卒業式が行われました。ここでも卒業生の中に亡くなられた生徒さんや、ご家族の方を亡くした生徒さんがいらっしゃったようです。その亡くなられたクラスメートの名前を先生が読み上げたとき、卒業生全員で「はい!」と返事をしました。その大きな声が多くの涙をさそっていました。
最後に、ボランティアや避難されている方、自衛隊のみなさんも加わって、校庭に花道が作られ、大変な状況の中でも「諦めない心」がつくったすばらしい式となりました。
瓦礫の中でも咲き誇る、 人の絆という花道を 堂々と歩く卒業生たち 図工室の泥よけにも花道にも参加して くれた自衛隊のみなさん みんなが力を合わせて、
泥まみれの図工室を卒業式会場に作り変えました!
石巻市立湊小学校〜石巻専修大学
石巻市災害ボランティアセンターへ
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再会を喜んでくれた小林君
正直、心が折れそうになることもあると本音もちらり
宮城県 石巻専修大学
石巻市災害ボランティアセンター 着

前回もお伺いした石巻専修大学石巻市災害ボランティアセンターに行ってきました。ピースボートの小林くんにも再会して、少しやせたような気がしましたが、元気そうな顔が見られてよかったです。ラジオ150個とドッジボール5個を届けてきました。日々変わる被災地の状況を伺い、ラジオがさらに必要だということがわかりました。
避難所の話になると表情が厳しくなります ドッジボールは子どもたちに大人気! 全国から集まったココロのこもったラジオを大切に並べた
宮城県 石巻市災害ボランティアセンター
〜石巻市立鹿妻小学校へ
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多くの方がいる避難所では並んだり待たされたりすることが多い
石巻市立鹿妻小学校 着

前回もお伺いした石巻市立鹿妻小学校。
ラーメンの炊き出しに長蛇の列ができていました。
子どもたちにドッジボールをプレゼントし、そのままサッカーをすることになりました。
いまや子どもたちのストレスは深刻な問題です。まだグラウンドを使えるだけこの避難所はよかったです。子どもたちは夢中でボールを追いかけていました。間違いなくその瞬間だけは笑顔が増えて幸せな時間でした。
と同時に、今こういった時間を僕たち大人たちがどう作っていけるかが問われている気がしました。
グラウンドのすぐ裏の光景 ドッジボール 一つで子どもたちの絆が強くなっていくようでした 僕たちのプロジェクトと同じように、 ラーメンだけじゃなくココロを配っているように見えました
石巻市立鹿妻小学校〜岩手県 FM IWATEへ
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エフエム岩手
RED RIBBON LIVEや、LOVE in Actionも手伝っていただいているFM岩手の加藤くんと久々の対面。
デビュー当時から交流があるテッチャンこと松本哲也くん(岩手県出身のアーティスト)も、僕が盛岡に来る噂を聞きつけ駆けつけてくれました。震災直後から大船渡周辺でボランティア活動をしていたテッチャンから、現地の細かい情報を聴くことができました。
盛岡は平静さを取り戻しつつありましたが、震災当初は加藤くんも不眠不休で放送していたようです。大船渡周辺のボランティアに戻るテッチャンに、ラジオ20個を託しました。
松本哲也くんにラジオ 20個を渡しました エフエム岩手の加藤さんや
地元のアーティスト松本哲也くんと情報交換をしました
自身も被災しているが、仲間を集め、炊き出しや物資の運搬をし続けているアーティストの松本哲也くん
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3月30日(水)
遠野市役所 松崎地区センター
〜大船渡市 リアスホールへ
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リアスホール
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さすがに大人数の避難所だけあって物資もたくさんありました
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山崎さんから、「どうしてもCDプレイヤーつきラジオを届けてもらいたいところがある」と言われました
大船渡市 リアスホール 着

大船渡市の避難所になっているリアスホールに行きました。松本哲也くんから紹介された、イタリアンコックで避難所のリーダー的存在になっている山崎さんと会うためです。
山崎さんは震災の翌日から炊き出しを行い、物資を運んだりしてきた元気で熱い方でした。なによりムードメーカーとして、被災している人たちの励みになっているような方でした。
大船渡市全域の避難所の現状についてお話を伺い、ラジオを届ける場所の相談にのっていただきました。
大船渡市 リアスホール
〜岩手県 児童養護施設 大洋学園へ
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児童養護施設 大洋学園
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届けられたラジオを
喜んで受け取ってくれました
岩手県 児童養護施設 大洋学園 着

松本哲也くんの母校でもある児童養護施設の大洋学園に、ラジオを届けに行きました。園長先生と情報交換を行い、この近くでラジオが必要な避難所があり、そこにも配っていただけるということで60個のラジオをお預けしました。
子どもたちにはドッジボールもプレゼントし、さっそくいっしょにドッジボールをしました。
そのあと子どもたちと話しているときに、はるな愛ちゃんから僕に電話がかかってきました。はるな愛ちゃんは、そこにいたみんなと話をしてくれました。
それ以外にも、子どもたちに「関西弁講座」や「夢をみることを諦めないレモンさん講座」をしました。
レモンさんのプチ講演会に耳を傾け楽しむ子どもたち 最後は子どもたちから
はるな愛ちゃんへ一言、
「言うよねぇ〜!」
はるな愛ちゃんからみんなへ 電話でメッセージが届きました
大洋学園〜後之入公民館へ
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CDつきのラジオを届けると最高の笑顔を見せてくれた女子中学生
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発電、濾過もできるソーラー発電機
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自家製の五右衛門風呂
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大変な状況の中、まさに
「We areシンセキ!」のおもてなしにココロも体も温まりました
後之入公民館 着
リアスホールの山崎さんから、「女子中学生にCDプレイヤーつきラジオを届けてほしい」ということで、24人が避難している公民館に行きました。ここには二人の中学生がいました。
この避難所には、横浜の企業からの援助でソーラー発電機というハイテク機器が届いていました。
また、ここのオジイちゃんのアイディアで五右衛門風呂を作っていることにとても感心しました。
到着したときにちょうど炊き出しの豚汁を作っていて、避難所のおばあちゃんに勧められ、何度も断ったのですが…「ここに来たらみな平等」の一言で、美味しくいただきました。
ここはふだんから地域交流が深い地域だそうで、避難所でも、みんなで協力して震災を乗り越えようという姿勢がはっきり現れていて、子どもたちの笑顔からも希望を感じることができました。
後之入公民館〜リアスホールへ
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山崎さんが涙したという、友人からのメッセージつき日本酒
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山崎さんにラジオとドッジボールをお渡ししました
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「津波なんかにゃ負けないぞ!!」がここの合い言葉
再度、リアスホールに戻り、ラジオとドッジボールをお届けしました。山崎さんからは「まだまだラジオを届けたいところがありますよ」と言われ、「また訪ねます!」と約束しました。

今回、避難所に行って直接ラジオを手渡すことで、ラジオの重要性や、被災者の方々の気持ち、そして日々変化する状況を直接肌で感じることができました。


つづく
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